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希望日本賛同議員国会発言データベース

賛同議員の国会での各会議・委員会における発言がご覧いただけます。

(議員の所属政党は、委員会等での発言時のものとしています。

また、名前の前に※印がついている議員は、以前の賛同議員です。)

羽田雄一郎先生のご訃報に接し、衷心より哀悼の意を表します。

発言の詳細を表示します。


議員名石田昌宏(自由民主党)

2019年11月14日

委員会名参議院 厚生労働委員会


「一昨日、厚生労働委員会で国立ハンセン病療養所多磨全生園と国立ハンセン病資料館の方を訪問させていただき、当事者の方々や関係者の方々からお話を聞き、また、お亡くなりになった方々に献花することができました。大変御無理を申し上げたにもかかわらず快く受けてくださいまして、貴重な機会をいただけましたこと、誠に感謝申し上げます。ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律案、そしてハンセン病問題の解決の促進に関する法律の一部を改正する法律案、この二つの法律を少しでも早く成立させたいという思いから、衆議院の方でも審議中であった法案の順番を入れ替えて審議して、そして昨日、本会議で可決していただきました。それを受けて参議院でも速やかに審議に入ることができました。また、内容も判決よりも手厚いものになっていると思います。このことにつきましては、元ハンセン病患者の皆様も、おとつい、良かったというふうに評価をしていただきました。この法律の審議に当たっては、与野党を超えた国会議員の思いがあり、それを是非国民の皆様に伝わっていけばなというふうに考えております。それを踏まえて質問をさせていただきます。まず、私、若い頃に精神科の病院で働いておりまして、当時、収容主義という言葉があったんですけど、二十年も三十年も入院していた患者さんを担当して、その方々が退院して地域で暮らすための支援をしていました。また、地域で訪問看護なども行い、生活のサポートもしていました。受け持った六十代の患者さんがいまして、その方は三十年以上入院をなさっていたんですけど、何とか、本当に大変だったんですが、御本人の努力が実り、退院をすることができました。退院後も彼女の家に訪問看護をずっと繰り返して、地域での生活も順調に進められていたんですけど、私はしばらくして病院を辞めて別な仕事に就きました。その後、五年ぐらいたったと思うんですけど、その病院の病棟に行ったら、その患者さんがまた入院をしていました。どうしたのかなと思って、話を聞こうと思って患者さんのところに行ったら、まず第一声が、私はもう二度と退院なんてしないわというふうに、そういう言葉を言われて、かなり正直、ぐさっときました。一生懸命やったんだけれども、それはかえって悪いことをしたんじゃないかという思いに駆られました。が、その後、患者さんは、もう二度と退院はしない、私はここで一生を過ごすんだというふうにおっしゃりました。それは、聞いてみると、もう年を取って独り暮らしをやっていくのがとてもしんどい、かといって、自分の病気でなかなかほかに入るところもない、病院だけが頼りであって、ここで是非一生を穏やかに終えていきたいということをおっしゃっていました。ただ一つ、僕に言ってくれたのは、それでもね、退院したことはとても大事で、あれが私の一生の中の一番いい思い出になった、私はその思い出を胸にして、これから一生ここでゆっくりと最期を迎える人生を送るんだという話をされていました。いろんなことがあるのかもしれませんけど、少なくとも、人生の最後で、退院して、ある意味名誉を回復し、誇りを持って暮らしたということがその方の人生の中で何か幸せにつながっていたらいいなというふうに思っています。もうお亡くなりになりましたから、そこは直接は聞いてはいませんが、きっとそんな思いで人生を終えられたんじゃないかなというふうに思っています。一九九六年、らい予防法が廃止されました。一言に廃止と言っても、なかなか大変だった、議論や苦悩があったというふうに聞いています。予防法の中に療養生活に関連する規定もあったので、単純に廃止するか、そしてあとは自分でやりなさいという話でもないし、かといって、法律がある限りは、どんな改正、例えば差別規定の部分がざくっとなくなったとしても、法律の存在そのものがやはりどこかで差別を前提にした法律であったので、差別の呪縛からは逃れることはできない、そういった複雑な思いの中での改正の議論だったというふうに聞いています。かなり工夫をしたそうで、工夫に工夫を重ねて、例えば法律を廃止した上で療養に関連する新法を作る、そういったやり方も取らずに、最終的にはらい予防法の廃止に関する法律という廃止法を作って、その廃止法の本則の中に処遇維持、継続のための規定を盛り込むという形で最終的にはまとまったそうです。このやり方は、まあ今もなかなかない立法の仕方だと思うんですけど、相当苦難の上で決断したことだったというふうに聞いています。これによって、当事者たちが今少なくとも人生に夢や希望や、又は安全、安心、安寧といったものを感じながら生きていて、また人生を終えていくことができるのであれば、この法改正は、やり方は苦悩したけれども、良かったんじゃないかというふうに思っています。やはり、名誉を回復することはとても大事です。ただ、その後に、あとは自分で頑張れではなくて、当事者が穏やかに人生が送れるような環境をつくっていくということもとても大事で、この二つをしっかりと政府としても進めていくことが重要だと思っています。もちろん、それは当事者だけじゃなくて、一方で家族も同じ思いをしています。ハンセン病を出した、ハンセン病の方を出した家族だと偏った目で見られ、差別を受けてきた歴史があります。今日はこれに対する一つの解を出そうとしている日だというふうに思っています。当事者の方々もそうだったように、この法律が御家族の皆様がこれからの人生を送る上で良かったと思えるようになるものと信じてこの議員立法を進めています。補償する政府として、御家族の方に良かったと思ってもらえるように、一つは名誉回復、そしてもう一つは穏やかな人生が送れる環境をつくるという観点から、御家族に対してメッセージをお願いしたいと思います。」


→議事録全体を見る(国立国会図書館 国会会議録検索システムが別タブで開きます)

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